前回は、私が法医学の道を選ぶまでのお話を書きました。
今回はその続き、いよいよ大学院生として法医学の世界に足を踏み入れてから今に至るまでのお話になります。
学生時代も解剖見学はしていましたが、いざ「中の人」として働き始めると、そこには新たな発見が(もちろん苦労も)待っていました。
そんな大学院生活の中で、私が「これこそが法医学の魅力だ!」と感じたことが、大きく2つあります。
今回は、その魅力について、再び私の実体験を交えながら書いていきます。
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解剖の先で改めて確認した法医学の面白さ
まず、大学院生になって実感したのは「死因究明の難しさとやりがい」でした。
この魅力は、院生になって早々に実感することになりました。
初年度は、知り合いのツテで紹介してもらった病院で、夜は当直、日中は解剖助手。ひたすらそれを繰り返す日々を過ごしていました。
肉体的にしんどい時もありましたが、案外これは私的には楽しくて、毎日充実していたんです。だって、自分がずっとやりたかった法医学ですからね。
特に解剖はやはり興味深い毎日でした。
学生の頃は、単に解剖だけでしか死因を見つめることができなかったのが、院生になると、それだけではなくなりました。
死因究明とは、解剖だけでなく、その後の血液検査や組織検査、薬毒物分析など、「死因は、様々な視点から考察するものである」ということに気づいたんです。
(医学生の頃は、どうしても1日完結で死因究明が終わってしまいますから…)
そしてまた、法医学者には、それらの情報を統合して考察できる、包括的な知識がないと駄目だということも知りました。
一見して全く別物の事象が、実は両者が関係していたりすることも少なくありません。
「解剖では◯◯だと思ったが、最終的には××だった」という経験を繰り返すうちに、そんな法医学者的思考法が練り上げられていったわけです。
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ある“脳出血”から学んだこと
例えば、今でも忘れないのは、一人暮らしの若い男性のご遺体でした。
部屋を訪れた友人に発見され、病院に搬送された後、Ai(死亡時画像診断)で脳出血が見つかり、病院が慌てて警察に届け出ました。
頭にぶつけた痕もなく、状況からは内因的(=病気が原因の)な脳出血と結論付けられそうになりましたが、ご遺体はまだ若いことから、警察がより詳しく調べるために検視を行ったのです。
が、残念なことに、尿失禁のため検視時には尿サンプルが採取できず…。
そのような経緯を経て、ご遺体は私たちの元へ解剖に来ました。
しかし、解剖を行っても、不自然なくらい典型的な脳内出血があるだけ。
それでも、私の頭の中ではずっと違和感があったのです。
『なぜ高血圧や脳血管奇形もないのに、この若さで脳内出血が起きたのだろう?』と。

そこで血中の薬毒物分析を行いました。もし何も出なければ、考えすぎだったわけですが、ひょっとするとひょっとするし…。
そして、数日後に出た結果を見て、私は息を呑みました、、、コカインが陽性だったのです。
初動で尿検査ができなかったため、そこをすり抜けていたのでした。
最終的な死因は「コカイン中毒による脳内出血」。
もしあの時に『なぜだ?』という小さな違和感を飲み込み、Aiや解剖所見だけで終えていたら、この若者の死の真相は永遠に闇の中だったわけです。
表面的な所見に囚われず、あらゆる可能性を疑い、使える武器をすべて使って真実に迫る。この経験こそ、私が法医学の本当のやりがいを、魂で感じた瞬間でした。
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そして、この経験から今に至るまで、常日頃から感じるのが、「2つとして同じ死に様はない」ということです。
似たような亡くなり方をしていても、必ずどこかに違いがある。たとえ経験を重ねても、全く同じような思考回路ではいけない。飽き性な私には持ってこいです。笑
これこそが、死因究明の難しさであり、法医学者として私が感じ続ける、最大のやりがいなのです!
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解剖だけじゃない研究の魅力
そして、もう一つの魅力が「法医学の研究領域のすそ野の広さ」です。
皆さんはこう思うかもしれません。
「法医学って、解剖だけをする人じゃないの?」
「何で法医学者が研究をしなければならないのか?」
正直に告白すると、大学院に入ったばかりの頃の私も、そう思っていました。
隠すまでもなく、私も元々研究というものが苦手だったのです。笑
しかし、院生となり、解剖補助業務と並行して、当然ながら学位研究も進めなければなりませんでした。
臨床医になるための勉強ばかりしてきた私にとって、研究は完全に未知の世界であり、始まりは苦痛しかありませんでした。
「ピペットチップに種類があるの?」
「検量線って毎回必要なのか…」

そんな初歩レベルからのスタートでしたが、教授や上司に助けを求めつつ、自分でも研究入門書を読み漁る中で、少しずつ主体的に動けるようになっていきました。
一番の壁は、やはり研究テーマ探しでしたね。
法医学は、「死」に関わることなら何でも研究テーマになり得るような、非常に懐の深い学問です。
しかし、その「無限の可能性」に加えて、「(教室の)予算や設備」という現実とのギャップ、そして先行研究の手広さの壁に、私は完全に路頭に迷ってしまいました。
ですが、皮肉にも私を救ってくれたのも、この「研究領域の広さ」でありました。
数カ月悩み抜いた末、私は自分が元々興味を持っていたニッチな分野と、法医学を組み合わせたテーマにたどり着くことができたのです。

極度の飽き性である私が、その先の長い研究生活を乗り越えるには、これしかありませんでした。自分の興味のないものを研究し続けるのは、苦痛でしかないですからね。
これは自分にとって、まさに「棚ぼた」でした。
テーマが決まってからは、数カ月かけてコツコツとサンプルを集め、分析し、やっとこさで結果をまとめます。
文字にすれば一行ですが、やっている最中は「本当にこれで良い結果が出るのか?」「いつになったら卒業できるんだ…」という不安しかありませんでしたよ。
結果が出ても、それを論文にしなければなりません。何度何度も推敲し、最高の一品を練り上げたのです。
「1年でも早く学位を取得して、院生を終えたい!」
後半は、ただもうその一心でしたね。笑
でも、そんな苦行の中でも、自分の興味があるテーマだからこそ、知的好奇心が満たされていく充実感を感じられましたし、正直、(若干の)楽しさを感じたのも事実です。
最終的には、満足のいく結果と共に論文が掲載され、晴れて博士学位を取得することができました。
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今でも当然研究を続けています。というか、むしろ学位取得は研究者のスタートラインに過ぎません。
まだまだ悩むことはたくさんありますが、それも含めて研究を楽しめるのは、当時悩みながらも、法医学の中に自分の興味があるテーマを見つけられた経験が生きているのだと思います。
法医学の領域は無限に広がります。ぜひ皆さんもその広さに驚かされつつも、楽しんでみてほしいです。
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なぜ私は法医学に飽きないのか
「2つとして同じ死はない」からこそ、死因究明の探求はどこまでも続く。
「死」に関わることなら何でもテーマになるからこそ、研究の旅もまた、無限に広がる。
あんなに飽き性だった私が、なぜ法医学の世界にだけは没頭し続けられるのか。
それは、この学問が、私の尽きることのない好奇心を、常に満たし続けてくれるからです。
もし、あなたも「たった一つの答え」に満足できない探求者なら、、、法医学の世界は、きっとあなたを歓迎してくれるはずです!


