「米国で“遺伝子系図”(≒DNA情報に基づく家系図)によって容疑者を特定した」
そんなニュースが数年前に報道されました。その後も類似のニュースは数多く存在します。
米東部バーモント州バーリントンで今年2月、52年前の未解決殺人事件の容疑者が特定された。迷宮入りした事件を解決に導いたのは、DNA検査と家系図作成の手法を組み合わせた「遺伝子系図」による調査だった。
毎日新聞「米国で迷宮事件を解決 DNA×家系図=遺伝子系図調査、その実力」より引用
※↑はわかりやすい記事なので、有料会員の方は是非一度読んでみてください。
この記事を読んで「日本でも、この手法を使えば未解決事件を解決できるのでは!?」そう思った人も多いかも知れません。
今回は、この「遺伝子系図調査」、つまりDNAで家系図を作って犯人を特定しようとする試みについて解説します。
…
…
遺伝子系図調査(FIGG)とは?
遺伝子系図調査は英語で【Forensic Investigative Genetic Genealogy(FIGG)】。
簡単に説明すると「現場のDNAから“遠い親戚”をデータベースで見つけ出し、家系図を作ることによって犯人を逆探知する手法」です。
標準的な流れでいうと、、、
- 現場試料から犯人のDNAを採取する
- 一塩基多型(SNP)を中心としたDNA情報を解析する
- データベースと照合し、近縁関係のある者を探す
- 公的記録等を用いながら家系図を作成する
- 家系図の空白を埋めていき、被疑者候補を絞り込む
- 候補者のDNAを採取して犯人を特定する
こういった流れをたどります。
具体的に見ていきます。
…
1. 現場試料から犯人のDNAを採取する
まずは当然、犯人の遺伝子情報が必須です。
現場などに残された試料を採取し、DNAを抽出します。
2. 一塩基多型(SNP)を中心としたDNA情報を解析する
人によって遺伝子配列は違います。その“違い”には様々な種類があります。(※後述)
その中でもFIGGでは特に“一塩基多型”(SNP)というDNA配列の違いを見ていきます。
一塩基多型…つまり1つの塩基(DNAの材料)だけが違っている箇所に注目するのです。
3. データベースと照合し、近縁関係のある者を探す
ヒトには約1000万個以上のSNPが存在すると言われています。
その多数の“違い”を、データベースに含まれる多くの人と見比べることで、「遺伝学的に近い近縁者」を割り出します。
…
4. 公的記録等を用いながら家系図を作成する
近縁者らしき人が複数見つかったら、その人を中心に家系図を作っていきます。
(ここで犯人そのものが見つかれば超ラッキーですが、既存のデータベースとの照合はまず最初に調べるのでタナボタは基本あり得ないです)
具体的には、それらが交わる「共通の祖先」(家系図の上。幹)をたどります。
公的記録(日本でいえば戸籍など)も利用しつつ、より詳細な家系図を作っていきます。
続いて、共通の祖先から、現代に向かって「全ての子孫」(家系図の下。枝葉)を書き出します。
…
5. 家系図の空白を埋めていき、被疑者候補を絞り込む
歯抜けの家系図作成を埋めつつ、要所要所で近縁者から改めてDNAを提供してもらって、“家系図の正しい枝”の特定を進めます。
…
6. 候補者のDNAを採取して犯人を特定する
5.を続けることで、徐々に犯人に近づいていきます。
そして、ある程度近い親戚が見つかれば、そこからはアナログな捜査となります。
最終的に従来のDNA鑑定など使い、うまくいけば犯人にたどり着くことができます。
…
…
現行のDNA型鑑定とはどう違うのか?
「これって、刑事ドラマでよく見るDNA鑑定と何が違うの?」
そう思っている人も多いでしょう。実は見ているポイントが全く違います。
- 従来のDNA鑑定<STR型>: 言わば「バーコードの照合」。「犯人のDNA」と「AさんのDNA」が完全に一致するかを見る。つまり、あらかじめ「Aさん」という容疑者が浮上していないと使えない。
- 遺伝子系図<SNP>: 言わば「似た顔の系統探し」。DNAにある何十万箇所もの特徴を見て、「AさんとBさんは遺伝子的に○%似ているから、従兄弟くらいだな」という距離感を測り、対象を狭めていく。
少し専門的ですが、従来のDNA鑑定は、「STR型」という、人によって異なる「特定のDNA配列のリピート数の違い」を調べています。(現在の警察では二十数箇所)
このSTR法は、「AさんとBさんは同一人物か?」というのを「本人確認」は得意です。しかし、遺伝子的な“近さ”、つまり「親戚探し」は苦手です。
一方で、FIGGで使うSNPは、データベースの中の膨大な人の中から「会ったこともない遠い親戚」まで探し出すことができるのです。
…
…
遺伝子系図のメリット・デメリット
FIGG、この手法は「特定の容疑者がいなくても、親戚からたどれる」という点で、未解決事件にとって最強の切り札になり得ます。
しかし、デメリットもあります。
- 膨大なデータベースが必須
- プライバシー侵害やえん罪のリスク
米国で成功したのは、自分のルーツを知りたい人が登録する「民間サービスのデータベース」に百万人単位の登録があったからです。
日本にはそれが存在しません。
前述の通り、STR型とSNPとは全く異なる“違い”なので、現在の警察が持つ「容疑者のDNAデータベース」を流用して使うことはできないのです。
やるなら、新たに一からDNAを解析して、データベースに登録していかなければなりません。
またプライバシーの問題もあります。
FIGGでは、「犯人の親戚」というだけで、全く無関係の市民が捜査対象になり得ます。
もちろん捜査が進めば、犯人でないことも明らかとなるでしょう。
それでも、自分の知らないところで、自分のDNA情報が警察に使われ、一瞬でも「犯人ではないのか?」と疑われることへの嫌悪感は誰でも感じるはずです。
…
…
将来的に、日本で遺伝子系図調査は可能なのか?
では、遺伝子に基づいた家系図を使った捜査を、日本でも将来的に作っていくことは可能なのか…?
個人的には、「現状の日本においては不可能に近い」と考えます。
一番の理由は、やはり「比較対象となるデータベースがない(作れない)」からです。
米国には歴史的にも移民が多く、「自分のルーツを知りたい」という文化が根付いています。
そして、それに関連した民間の家系図会社も数多く存在します。
米国には、半ばボランティアで、捜査のための遺伝子情報の利用に、自らの意思で同意する人が百万人以上もいるのがすごいなとすら思います。(さすが正義の国)
ですが、日本にそのような文化は少なく、進んでDNAを登録する動機もありません。
何よりもデータベースに自分の遺伝情報が登録され、それが警察に使われる可能性があるとしたら、、、どうでしょう?
少なくとも私は嫌です。(別に犯罪を犯す予定も“つもり”もありませんが、気持ち的に…)
法医学者としては「未解決事件解決の切り札」として魅力を感じる反面、一市民としては「究極のプライバシー情報の利用」に慎重にならざるを得ない。
そんなジレンマを抱えた技術だと私は感じます。
…
…
最後に
【遺伝子系図を使った犯人特定ための捜査】
如何だったでしょうか。
「画期的な捜査手法」であると同時に、「究極のプライバシー問題」でもあります。
非常に強力ですが、同時に扱いが難しい、まさに「諸刃の剣」と言える技術です。
日本ではまだ馴染みが薄いテーマですが、AIと同じく科学技術は待ってくれません。
いつか「その時」が来た際、我々はどう判断すべきなのか?
事件解決という「正義」と、個人の「尊厳」。そのバランスをどう取るべきか?
今のうちから少しずつ考えておく必要があるのかもしれません。

