昨今は①悪性新生物 ②心疾患に次いで、死因順位の3位にまで上昇してきた「老衰」。
一般の方が出会うことも、そして臨床の現場で記載する機会も増えてきていることかと思います。
しかし、実際のところ、老衰の診断基準に明確なものはありません。
とは言え、高齢だからといって、何でもかんでも死因に「老衰」と書いて良いわけでもありません。
今回はそんな「死因としての“老衰”」について取り上げたいと思います。
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老衰の考え方
日本における「老衰」
冒頭にも触れたように、老衰には診断基準はおろか、そもそもの明確な定義もありません。
一応、厚生労働省は「高齢者で他に記載すべき死亡原因がない、いわゆる“自然死”」としています。

でも、日本においてある程度しっかりした定義はこれくらいです。
この文章から読み取れるのは
- 高齢者であること
- 他に記載すべき死亡原因(=死因)がないこと
この2点だけです。
皆さん「高齢」という点はしっかりと見極めておられますが、個人的にこの2点目を忘れがちな先生が多い印象です。
つまりは「他に記載すべき死因がある」なら、老衰の記載は不適切というわけです。
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私の個人的な考え
「老衰」は原則として除外診断になります。
従って、死亡診断書を作成する際、まずがんや心疾患、脳卒中、肺炎などの明確な器質的疾患による死亡の可能性を臨床的にすべて否定する必要があると考えます。
その上で、もちろんそういった器質的疾患があるのなら、「老衰」としてではなく、それら病気を死因として書くべきです。
その上で、特定の「根本死因」が見当たらず、加齢に伴う身体機能の全般的な衰退によって生命活動が停止したと総合的に判断される場合にのみ、最終的に「老衰」という診断が選択されるべきだと思うのです。
※ちなみに、死亡診断書における「老衰」の“発病(発症)又は受傷から死亡までの期間”は「不詳」で問題ありません。

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悩ましい事例
死因を「老衰」と記載したくなるが、個人的には推奨できない架空事例をみてみます。
架空事例1:微熱と「むせ」があった90歳男性Aさん
【状況】:
Aさん(90歳、男性)は、要介護4でご自宅で奥様と訪問介護のサポートを受けながら生活していました。高血圧と糖尿病の持病はありましたが、状態は安定していました。
しかし、亡くなる1ヶ月ほど前から、食事の量が減り、食べ物や飲み物で「むせる」ことが増えていました。
ここ1週間は、37.2℃前後の微熱が続き、日中もベッドでうとうとと過ごすことが多くなりました。本人は特に「苦しい」とは訴えませんでした。
ある朝、奥様が様子を見に行くと、Aさんはベッドで冷たくなっており、息をしていませんでした。
【診断の問題】:
連絡を受け往診したかかりつけ医は、Aさんの長年の経過とここ数週間の衰弱ぶり、そして安らかな表情を見て、奥様に「大往生でしたね。老衰でしょう」と声をかけ、死亡診断書(死体検案書)の死因欄に「老衰」と記載しました。
【どこが気になるか?】
このAさんのケースで、強く疑われるべき死因はやはり「誤嚥性肺炎」です。
- 食事中の「むせ」
- それに続く「微熱」
- 「活気がない」(傾眠傾向)
これらはすべて、高齢者の誤嚥性肺炎の典型的なサインです。
高齢者の場合、体力や免疫力の低下から、若い人のような高熱や激しい咳、呼吸困難といった派手な症状が出ないまま、静かに肺炎が進行することが少なくありません。
Aさんの直接の死因は、食べ物や唾液が気づかないうちに気管に入り、それによって引き起こされた肺炎(誤嚥性肺炎)による呼吸不全であった可能性が比較的高いと言えます。
この場合、たとえ最終的に老衰のように全身が衰弱していたとしても、直接の死因はやはり「誤嚥性肺炎ないし肺炎」と考えられ、死亡診断書には「老衰」ではなく「誤嚥性肺炎」と記載するのが個人的には適切に思います。
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架空事例2:1週間前に転倒した85歳女性Bさん
【状況】:
Bさん(85歳、女性)は、一人暮らしで身の回りのことは自分でできていました。 しかし、亡くなる1週間前、自宅の居間で足を滑らせて転倒し、後頭部をフローリングで強く打ちました。その直後は少し混乱していましたが、すぐに意識ははっきりし、「たんこぶができただけ。大丈夫」と言い、病院には行きませんでした。
ところが、転倒から3〜4日経った頃から、Bさんは徐々に口数が減り、ぼーっとする時間が増えました。心配したご家族が訪ねると、食事もあまり手をつけておらず、ろれつが回らない様子でした。
そして転倒から1週間後、ご家族が朝に電話した際に応答がなかったため駆けつけると、ベッドで亡くなっていました。
【診断の問題】:
ご家族は「転んだショックで急に弱ってしまった。やっぱり年だから(老衰)…」と考えました。 検案を担当した医師も、ご家族の話と状況から、直接の死因を特定できず、「老衰」もしくは「不詳の自然死」として死亡診断書を作成しようとしました。
【どこが気になるか?】
このBさんの経過で、最も疑うべきは「慢性硬膜下血腫」による“外因死”です。
これは、頭を打ったことが原因で、脳を覆う硬膜と脳の間にじわじわと血が溜まっていきます。
高齢者の場合、脳が萎縮して隙間が大きくなっているため、打撲直後は症状が出ず、数日〜数週間かけてゆっくりと血腫が大きくなり、脳を圧迫して意識障害や麻痺を引き起こすことがあります。
Bさんの死因は「老衰」ではなく、転倒による「頭部外傷」、そしてその結果生じた「慢性硬膜下血腫」である可能性が高いと考えられます。
これは「外因死(事故死)」であり、「老衰(自然死)」とは全く異なり、場合によっては警察への届け出が必要となる可能性もあります。
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…いかがでしょうか。
この2つの事例のように、一見「老衰」や「大往生」に見える死の背景にも、実は「肺炎」や「外傷」といった、“他に記載すべき死因”が潜んでいることは珍しくありません。
もちろん、全ての高齢者の死を解剖して調べるわけにはいきませんし、特に医療機関ではない介護施設などにおいては、死因に繋がる医療資源が乏しかったり、そもそも医療情報すら満足に把握できていないケースも少なくなく、最終的な診断が難しいことも多々あります。
また、そうした中で「どこまで器質的疾患を除外できるのか?」という現実問題もあると思います。
しかし、医師は(そしてご家族も)、安易に「老衰」という言葉で片付ける前に、「何か他に隠れた原因はないか?」と一度立ち止まって考える姿勢こそが重要です。
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「老衰」の診断時に参考となる目安
何度も言うように、老衰の明確な診断基準はありません。
この状況は諸外国も同様で、そもそも「老衰」を死因として原則認めない国すらあるほどです。(アメリカなど)
そうした中で、イギリスも死因としての「老衰」を厳しく制限している一方で、国がある程度の目安を示しています。
下記がその日本語訳です。
「老衰」単独での記載を避ける
「老衰」「老年性痴呆」「老年性虚弱」を死因として単独記載するのは、以下の全ての条件が満たされる場合に限る:
- 死亡者が80歳以上であること
- 医師が長期間にわたり死亡者を直接診ていたこと(明確な定義は困難であるが、少なくとも数ヶ月以上を推奨する)
- 患者の全身状態・機能の漸進的な低下を認めていた
- 死亡に寄与する特定可能な疾病や外傷を認めていない
- 検視官への報告をすべき理由が一切ない
特に、通常致命的ではない病態の重篤な影響を説明する場合には、加齢や衰弱を寄与要因として記載しても差し支えない。
https://www.gov.uk/government/publications/medical-certificate-of-cause-of-death-mccd-guidance-for-medical-practitioners/guidance-for-medical-practitioners-completing-medical-certificates-of-cause-of-death-in-england-and-wales
まとめると下記の通りです。
- 高齢(80歳以上)
- 数カ月以上のケアを受けている
- 緩徐な全身状態の低下がある
- 他に死因となり得る病気や外傷がない
- 警察等に届け出る状況ではない
これは割と日本での臨床現場でも活かせそうな気がしますね。
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その他、老衰の死因診断は直接は関係ないですが、しばしば臨床で取り上げられる「フレイル(≒ 加齢による虚弱)」に注目すると、
フレイルの診断基準(=J-CHS基準)項目には、
- 体重減少
- 筋力低下
- 疲労感
- 歩行速度
- 身体活動
の5項目が挙げられており、これらはある程度の参考になるかもしれません。
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まとめ:安易な「老衰」診断を避けるために
今回は、死因の第3位にまで増加している「老衰」について、その考え方と診断の難しさについて解説しました。
重要なポイントを改めて振り返ります。
- 日本の「老衰」診断には明確な基準がなく、「高齢者で、他に記載すべき死因がない自然死」という定義のみであること
- 従って、「老衰」はがんや肺炎、外傷など、他の死因をすべて除外した上で診断されるべき「除外診断」であること
- 事例で見たように、一見「老衰」に見えても、背景に「誤嚥性肺炎」や「慢性硬膜下血腫」といった明確な死因(病気や外傷)が隠れているケースが少なくないこと
もちろん、特に在宅や介護施設といった臨床現場では、検査や情報が限られ、死因の特定が困難な場面も多いことは承知しています。
しかし、「高齢だから老衰だろう」という安易な診断は、時に見逃してはならない事故(外因死)を隠蔽してしまったり、日本の死因統計の正確性を歪めてしまう(→将来の公衆衛生施策に影響する)可能性を孕んでいます。
イギリスの目安(80歳以上、長期のケア、漸進的な機能低下など)にあったように、老衰と診断するには、本来はある程度コンセンサスの取れた“基準”が必要と私は考えます。
「大往生でしたね」という言葉は、ご家族の心情に寄り添う上でとても大切です。
しかし、それと同時に、医師は故人の最期の状態にプロフェッショナルとして真摯に向き合い、「他に記載すべき死因はないか?」と常に自問し続ける姿勢が何よりも重要だと考えます。
この記事が、臨床現場で死因を記載される先生方、そして「老衰」という言葉に向き合う一般の方々にとって、少しでも考えるきっかけとなれば幸いです。


