初めての解剖執刀

法医学者には、誰しも“初めての執刀”があります。

“初めての解剖(助手)”ではなく、“初めての(解剖)執刀”です。

前者はおそらく解剖助手・解剖補助として、もしくは解剖見学だったりすることでしょう。

もちろんそこにも多くの衝撃を受け、いろいろと感じることはあります。

しかし、今回取り上げるのは後者、、、初めての解剖執刀です。

自分自ら執刀医として解剖を進め、死因や鑑定事項を考え、それを文章化し、責任を持って書類を発行する…。

これは見学はもちろん、助手や補助では決して感じることのない大きなプレッシャーを抱えることになるのですッ!!

私の初めての解剖執刀は、院生を修了し、法医認定医を取った後の4月でした。

それはもう不安だらけでした。。

初っ端から、外傷も多い外因死のご遺体で、新米法医学者としてはなかなかハードな事例です…。

私の教室は基本的に自由(という名の放任主義)で、助手さんは付くものの、上級医はチラッと見にくる程度。

今までの経験を思い返しながら進めます。

確かに解剖自体は、もう院生の頃から嫌というほど教授に付いて助手をしていたので、一通り流れは理解できており、迷うことなく手が動きます。

それでも、いざ“自分が”所見を取りながら、助手さんに先導されつつ指示しつつ、いろいろと並行しながら進めるのは全然違うんです。。

警察官にも「初心者である」という不安感を与えないよう堂々としなけれなりませんし、ポーカーフェイスが得意で良かったです。笑

終わってみれば、普段他の先生が解剖するより1時間くらいは長くなってしまったと記憶しています。

ですが、解剖は終わっても執刀は終わりません。

一旦教室に戻り、先ほど取った所見を見返しながら、死因や死の経過などを考えていかねばなりません。

解剖自体を進めるのは、体が覚えているので難なく終えることはできました。

しかし、死因等の思考過程については、教授との解剖中や解剖後の雑談の中で少しずつ学んできたとは言え、「結局は自分が執刀医としてやり始めないと分からない」とも言われ続けてきていました。

「まさにそうだ…」

ここにきてそれを痛感するんですよね。。

教科書に載っていない所見

教科書通りではない所見

一見して事実に相反する所見

そういった所見と頭の中で格闘しながら、一筋の答えを見つけだそうと努力します。

何とか自分なりの答えを書類に記載し、ちら見しかして来なかった教授に上申します…。

結果は、、、細かな表現の修正はあったものの、概ねOK!

ホッとして清書して書類を出したのでした。

いやー、活字にすると全然伝わらないんですが、今まで見ていたことであっても、実際にそれを一から自分でやるとなるとすごく大変なんですよね。

特に細かな点(ルーチン所見や必須事項の記載や必要書類の準備など)は、実際に自分の手でやらないと気付かないものです。

全てを終えた後は、本当にヘトヘトでしたよ。笑

そんなこんなで、私の初めての執刀は大きな汗玉を生み出しながらも無事に終えることができました。(執刀医名が1箇所抜けていたのは秘密…笑。※渡す前に修正済)

後で聞くと、チラチラ見つつ、教授もしっかり見守ってくれていたようです。笑

「もうちょっと段取りよくやりましょう」なんて言われちゃいましたが、自分としてはまずまずのスタートだったと思ってますッ!(←自画自賛)

無論、回数を重ねる毎に必ず板に付いてきます。

これから初めての執刀を控えている若手法医学者の皆さんも、初めての執刀でコテンパンにされた皆さんも、決して不安になることなく、全力でがんばってただきたいですねッ!

誰にだって“初め”はあるのですからッ!!

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