解剖では何を学ぶのか?

前回の記事で「院生の時期は研究をしっかり学びましょう!」というお話を書きました。

私自身としては、その後の“大学人”として、研究は結構大事だと思っています。

しかし、これから法医学者として働く以上、法医実務、特に解剖についての基礎を学ぶのも院生では重要になってきます!

「そんな研究も解剖も学ぶなんて、大変だよーっ!」

と思う方もいるかも知れません。

、、、大丈夫です。

解剖については、国内の法医学教室にいる以上、嫌というほど経験します。(文字通りに嫌になるくらいかも…笑)

どこの法医学教室も医師不足なので、医師免許を持っていればどこも戦力として参加させてくれることでしょうッ!

なので「解剖について全く知らないけど大丈夫かな?」という不安は大丈夫です、安心してください。

そこをまず押さえた上で…

では、『解剖を学ぶ』とは何か?どういうことなのか?

皆さんも、ざっくりと私がいわんとすることは伝わるとは思います。

では何か?

解剖について学ぶことは大きく2つあります。

一つ目が『解剖手技(お作法)を学ぶこと』です。

“解剖の手法”=どのように解剖を進めるのか?

これを学ぶことが解剖のまず第一歩です。

検案は何をするのか?

脳を開検するためにどうするのか?

どうやって副腎を剖出するのか?

閉創の仕方はどうか?

こういった手順を学んでいくわけですね。

もちろんこれは法医学者(医)の基礎として、とても大事なことです。

解剖の進め方を知らない解剖医が鑑定なんて任せてもらえるわけがありませんよね。

ですが、これも大丈夫です。

上記の通り、日本の法医学教室はどこも人手不足、、、解剖では貴方の力を必要としています。

そうやって、まずは解剖助手としてお手伝いしているうちに、ぜーったいに解剖手技についての知識はつきます!

半年~1年もすれば流れを十分覚えられるのではないでしょうか。

なので、実質的にネックになるのが、次の2つ目になってきます。

それが『解剖(所見)の考え方』です。

上記のような“解剖手技”を学んだ後に「その結果・所見をどう考えればよいのか?」

これです。

これこそが、法医実務において、法医学者(医)に求められている本質的な知識なのです。

眼瞼結膜の溢血点では何を疑うのか?

それを疑ったら、次は何をみるべきなのか?

その結論を言いたいなら、他にどの所見や検査が必要なのか?

それ以外の死因は何故否定できるのか?

…等々。

単に“解剖を終わらす”のは、前述の“解剖手技”さえ知れば、言ってしまえば誰でもできます。(もちろん法的な問題はあるにしても)

実際の現場でも、解剖手技自体は、解剖助手さんにも大いに手伝っていただきますし。

しかし、その所見・結果をどう捉えるか?判断するのか?という点は、まさに法医学医だからこその役目だと私は思っています。

継続的に、言わば線として診療を進められる臨床とは違い、法医学では“死後”という1点しかみることができません。

そういう意味では、法医学では確実に断定して言える!なんてことは決して多くないのです。

なので、その執刀医の責任の下で、最終的には経験や知識から判断せざるを得ないのですね。

自問自答を繰り返し、時には他の教室員と議論しながら、自分の判断はおかしくないか?というのを突き詰めていきます。

こういった“解釈論”こそが、法医学の院生が、解剖について学ぶべき最も大切なことだと私は思います。

手術と同じで、同じ解剖は二度とありません。

毎回毎回解剖は違います。

それを意識しながら、法医学者としての考え方を学ぶことが大切なのかな?と思ったりしますね。

ただこの“法医学的解釈論”は、院生というたった4年間で学びきれるようなものではなく、法医学者としての一生涯をかけて学んでいくものなのかも知れませんッ!!

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