解剖見学の是非

我々法医学者は日々法医解剖を行っていますが、法医学教室にはたまに“解剖見学”を希望される方がやってきます。

その多くが本学の“医学生”であり、法医学はもちろん「広く医学を学ぶため」という名目で見学を許可されます。(最近は何故か女性の方が多い印象)

あとは、まれに医師会を通じて「“検案医”になるための実習」として臨床医の先生がやってくることもありますかね。

見学希望者が来た際、「どのような人なら見学が許されるか?」は、最終的にそこの大学や法医学教室・教授の方針となってきます。

そういう意味では「明確な基準はない」と言ってしまっていいのかも知れません。

「それなら、誰でも希望さえすれば、見学のOKが出るのか?」

と言えば、当然そんなことはありません。

亡くなった方の尊厳を守るため、むしろ「見学は原則NGである」という方針だと言った方が正しい気が私はしています。

例えば、私の所属する教室で言えば、上記の通り基本的には「在籍する医学生」もしくは「医師会からの実習に来た臨床医」のみが許可されます。

それ以外の者、つまり一般の方や遺族、または医療従事者であっても全く関係のない部外者からの見学希望はお断りになっています。

そこは“(法)医学の発展”と“ご遺体の尊厳の保持”をきちんと両立させなければなりません。

では、“教育目的での警察関係者の見学”について、皆さんはどう思いますか?

上に原則的な基準を例示しましたが、その例外として“検視官になるための警視・警部”に対しても、解剖見学が実際に行われています。

…刑事調査官 (検視官)になるために、 警視庁(東京都)、道府県警から警視、警部が参加し、警察庁警察大学校において法医学研究専科研修を受講している。 この研修は、10週間の日程で行われており、100時間余(1時間は80分授業)の講義と5週間の検視・解剖の見学・研修で構成されている。…

法医学会が出している資料↑に詳しく書いていますが、

検視官になるための“法医学研究専科研修”が、約10週*年2回ほど行われています。

そこでは、警察官による【解剖の見学】が行われているのです。

医学生や医師でもない警察官が、法医解剖を見学することに対して、

「警察は医学を学ぶ必要はないじゃないか!?」

と思う人もいるかも知れません。

もしかすると、ここは世間的に賛否両論があるかも知れませんね。

確かに、純粋に“医学の発展”と考えると「法医解剖の見学は本当に必要なのか?」と思うのは自然です。

警視や警部であっても、医療従事者ではないですからね。

ただ、“法医学の発展”には繋がりそうではあります。

単にフラッと法医学教室に来て見学するわけではなく、

100時間の座学を経た上で、合計10週にも及ぶ研修として行われることからも、そんな生半可な気持ちで行われる見学でないことは明らかです。

おそらくそこが担保されるからこそ、法医学会・法医学教室もこの研修に協力していると言えそうです。

ということで、「在籍する医学生」「医師会からの検案実習に来た臨床医」以外に「研修中の警察官」という見学者もいるのでした。

何度も言うように、解剖見学について決まりはありません。

従って、「“(法)医学の発展”と“ご遺体の尊厳の保持”の両立」というのも、あくまで一つの目安に過ぎません。

法医解剖に限らず、近年はVR技術などの発達と共に、

「リアルな解剖についても、デジタルで置き換えられるなら、できるだけそちら(=デジタル)に代替していくべきだ」

という声もあります。

もっと言うと、

「それは(あえてリアルな解剖見学じゃなく)デジタルな解剖見学でも学べることなのではないか?」

「例えば、VRや動画によるオンライン教育では駄目なのか?」

そんな考え方もあるということですね。

私自身は上の通り、「原則は見学NG」であるべきだと思っています。

それはやはり“ご遺体の尊厳”があるからです。

“解剖見学”となると、見学される側であるご遺体はもう亡くなってしまっているので、本人の意思を確認できません。

ここが根本的に悩ましい点だと感じます。。

同じ解剖の中でも、系統解剖(医学部の解剖実習)では、事前に献体登録した人が解剖となります。

法医解剖でもそれができれば良いですが、法医解剖では突然亡くなったり変死したご遺体が多いので、現実問題、なかなか事前に登録するわけにはいきません。

また世間一般として、「『自分が亡くなった際、自分の解剖を見学されても構わない』という人は決して多くはない」と、私は思っているのですが、どうでしょう…?

やっぱり「死後であっても、可能なら、自分の解剖を他人に見てほしくはない」というのが一般的な感情なのではないでしょうか。

そう思うからこそ、法医学者としても、見学者に対してやや慎重にならざるを得ないというのはあります。

「解剖見学以外にその学習は達成できないのか?(解剖見学以外で学べるなら、その方法をまず優先して選ぶべき)」

「(誰でもOKというわけではなく)見学者は解剖を見学すべき地位にある者だけに限定すべきでないか?」

“ご遺体の尊敬”を最大限に考えると、私はそんなことすら思ってしまうことがあります。。

もちろん、世の中には、逆に「亡くなっているんだから…」と考える人もいるかも知れませんし、

“解剖見学でしか学べないこと”もたくさんあります。

でも、このあたりはまだまだ国民の議論が足りてない気がしますし、その議論は絶対に必要だと思います。

皆さんはどう感じますか?

多くの人に一度考えてみてほしいです。

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