「解剖すれば、100%死因がわかる」
世間一般では、ミステリードラマなどの影響もありそう思われている節があります。
しかし、全解剖例のうち、一定の割合でどうしても「死因不詳」という結論を出さざるを得ないケースが存在します。
実は、この「不詳」には、我々法医学者の心理を真逆にする「2つのパターン」があります。
今回は、具体的な架空事例とともに、死の真相に辿り着けない時の法医学者のリアルな胸の内を明かします。
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物理的な「不詳」:自然の摂理に白旗を上げる時
【ケース1:真夏の孤立死】

一人暮らしの70代男性。真夏に連絡が取れなくなり、10月に入ってから訪問した親族によって自宅の布団の上で発見された。
クーラーは止まっており、生活状況から、死後およそ5ヶ月程度が経過していたと考えられる。
ご遺体は高度に腐敗し、一部は白骨化している。
こうしたご遺体が解剖台に運ばれてきた時、私たちは何を思うか。
不謹慎に聞こえるかもしれませんが、正直に言えば、法医学者はどこか「ホッとする」ことがあります。
なぜなら、これは「物理的に死因の究明が困難なケース」であるからです。
解剖台の上にあるのは、もはや医学的なデータを読み取ることが困難な状態のご遺体です。
睡眠薬などの薬毒物検査をしようにも血液は残っておらず、心筋梗塞を疑って心臓を見ようにも、臓器は泥状に溶けて形を留めていません。
こうなると、現代医学の粋を集めても、死の瞬間を推定することは物理的に困難です。
それは当然「仕事をサボれるから」ではありません。
自分の手技の拙さや見落としではなく、「自然の摂理によって、データそのものが不可逆的に消去されている」という明確な限界線が引かれるからです。
「これは、法医学者がどう頑張っても絶対にわからない」
そのどうしようもない諦めが、法医学のプロとしてのプレッシャーから一時的に解放してくれる。
こういったケースは、そういう安堵感を伴う「不詳」なのです。
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ただし、もちろん死因が不詳になったからといって、犯罪者が逃げ切れるわけではありません。
体組織が消滅しても、骨の損傷から凶器を特定したり、残された毛髪や歯牙から薬物を検出することも可能です。
また当然ですが、犯罪捜査は、法医学者が究明した死因だけで判断するわけではありません。
捜査の中で、状況的に怪しい点やおかしい点が出てくれば、さらなる捜査を重ねて『死体遺棄』等で立件されることも多く、現実はドラマのように甘くはありません。
ここでの“安堵”とは、あくまで『医学的な直接死因』の特定が物理的に不可能になる、という意味です。
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医学的な「不詳」:法医学者を最も苦しめる「限界」
一方、ストレスフルで、法医学者を無力感の底に叩き落とす「不詳」があります。
【ケース2:若者の突然死】

35歳の男性。これまで大きな病気一つしたことがなく、健康そのもの。
前日の夜も妻に「おやすみ」と声をかけて自室に入ったが、翌朝、翌朝、ベッドで冷たくなっているところを妻に発見された。
ご遺体に目立った外傷はない。ご遺体は綺麗に保たれている。
すべての臓器を取り出し、肉眼的・顕微鏡学的に丁寧に観察し、臨床検査や薬物検査もフルで行った。
……にもかかわらず、「目に見える異常が、何一つとして見つからない」のです。
本当に綺麗なのです。
心臓も、脳も、肺も、解剖学や生理学の教科書に載っているような健康的な状態のまま。しかし、機能だけが完全に停止している。
乳幼児突然死症候群(SIDS)や、若年者の原因不明の不整脈死(いわゆる“ポックリ病”)などがこれに該当することがあります。
もしかすると、特殊な機械を用いた網羅的な遺伝子解析を行えば、特殊な心臓の異常などの“答え”に辿り着ける「かも」しれません。
しかし、そこには「現場のリソースの壁」が立ちはだかります。
限られた予算と人員で日々の解剖業務をこなしつつ、一つの症例に大学の研究プロジェクト級の労力を注ぎ込むことは、現実的に困難なことも多い。(複数大学で共同研究しているケースも増えてきましたが)
「もっと調べられれば…」と悔しさを噛み殺しながら『死因不詳』とするパターンです。
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しかし、真の辛さはさらにその先にあります。
仮に潤沢な予算があり、教室に圧倒的な研究力があったとします。
それでもなお、『今日の科学技術を以てしても、どうしても死因がわからないケース』が存在するのです。
あらゆる最先端の検査を尽くしても、現代の医学では「なぜ心臓が止まったのか」を証明できない。
これは、死因究明を存在意義とする法医学者にとって、本当に途方もないストレスなのです。
そして何より、突然大切な家族を失い、その理由すら教えてもらえないご遺族にとって、これほどやるせないことはないでしょう。
だからこそ、法医学者は研究をしなければならないのです。
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検案書に記される「不詳」の二文字。
それは決して、私たちが考えるのを止めた結果ではありません。
物理的な限界に突き当たった「安堵の不詳」と、現代科学の限界に阻まれた「悔しすぎる不詳」。
同じ言葉でも、そこには天と地ほどの差があるのです。
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今日の科学技術では解き明かせない死があります。
その圧倒的なストレスと悔しさがあるからこそ、私たち法医学者は日常の解剖業務と並行して、日々泥臭く研究を続けるのです。
今日「不詳」と診断せざるを得なかった死を、10年後20年後先の未来では「〇〇死」と明確に診断し、ご遺族に本当の答えを届けられるように。
今後の科学の発展をただ祈るだけでなく、自らの手で少しでもその限界を押し広げるために、私たちは今日も解剖台に向かい、そして死因と向き合うのです。

