命日の重み

以前、↑のようなツイートをしました。

「時に死亡年月日は死亡時刻以上に気を遣う」

その理由は「死亡年月日は、その日がそのままその故人の命日になるから」です。

法医学者の任務は、事実を追求し、真実を明らかにすることです。

その一環として、可能な限り死亡年月日を特定することには、特に注意を払います。

それは『命日が遺族にとってはとても深い意味を持つことがある』からです。

日々ご遺体をみていると、逆に「特定はしたものの、この死亡年月日は…」と思ってしまうケースにもしばしば出会います。

それが『誕生日の当日に亡くなった場合』です。

ご遺体の死体現象や部屋の状況、周辺への聞き込みなどの情報を総合的に判断すると、どうしても誕生日に亡くなったと考えざるを得ない

、、、そんなケースもあり、そのような日付を特定することは、感情的にもかなりキツい任務となります。

その他にも、クリスマスや元旦、特定の記念日、、、故人の別の身内の死亡日が重なるなんてこともあります。

当然、特定した結果がそうなるなら、正直にその日を記載します。

誤魔化したり、日をズラしたり…なんて、事実を曲げることはできませんし、すべきでもありません。

中には「この日は特別なので、変えてほしい」とおっしゃる遺族も過去にはいましたが、残念ながら、その要望に応えることはできません。

でも、きちんと結果を説明し、最終的に遺族には納得してもらえるよう心掛けています。

それでも自分の大切な人が、特別な日に亡くなるのは、やはり辛いことです。

ひょっとすると、ご遺族にとっては、その日に故人を思い出して、毎年さみしい気持ちになるかもしれません。

言ってしまえば、別に私がその日に決めたわけでもなく、たまたまその日だっただけ、全くの偶然です。

なので、私自身も別に気にする必要は全くないのですが、、、どうしてもその事実が遺族に与える影響を考えてしまうのが人情です。。

後になって自分が書いた死体検案書を眺めて、「ご遺族さん、どう思うだろうなぁ…」なんて思うこともあります。

冒頭の命日の話にしても、ひょっとすると、法医学者でも、死亡年月日を気にしない人は気にしないと思います。

いや、むしろ、法医学者としては、感情を抑えて客観的に事実を扱える人の方が求められているのかも知れません。

それでも私は気にしてしまいます…人間だもの。

ある意味で、人の命に関わる仕事をしていると、これは避けられないことでもあります。

ですが、感情があるからこそ、より人間味のある、共感できる法医学者でいられると私は信じています。

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