死因診断と臨床診断

法医学者の中には、「死因の“診断”」や「死後“診断”」とはあまり言わない人もいるそうです。

私は特にこだわりがないので、“診断”という表現をよく使ってしまいます…。

しかし、法医学者の行う“死因究明(診断)”と、臨床医が行う“臨床診断”は根本的に違うのでしょうか?

私は否…両者の根本にあるものは結局のところ同じだと感じるのです。

「得られた情報(所見)を駆使して、身体に起きている/いた病態を判断していく」

これは法医学であっても、臨床であっても、結局同じことをしているとはいえないでしょうか。

法医学者が突き止めんとする”死因”は、臨床医が日常診療で診断する病気の終着点がとも言えますし、

それを突き止めるために、法医学者も臨床医もいろんな方法を駆使して所見をとっていく…。

そんな風にふと「結局今でも同じようなことをしているんだなぁ」と思うことがあるんですよね。

もちろん法医学者が得られる情報(所見)は、臨床に比べるとかなり制限されることも多いです。。

ご遺体は話してくれませんので、当然問診はできません。

また解剖や顕微鏡検査、血液検査などは最大限駆使しますが、エコーや心電図、造影剤を用いた動的検査などは原則適用できません。

そして、基本的に死後の1点でしかご遺体をみることはできず、“(臨床)経過”のように連続した変化を観察することはできません。

「病態を判断する」のに最も手っ取り早いのが、『“比較”をすること』です。

臨床では継続的な診療によって、同じ人の中で比較ができます。

先月の血液検査結果と今日の血液検査結果

元気な時の検査画像と体調不良だった時の画像検査

一方、法医学では“同一人物での比較”ができないことが多いです。

それは前述のように「“死後の1点”しか見れないから」ですね。

ですので、仕方なく【正常な状態と異常な状態】を比較せざるを得ません。

「正常な組織を知らなければ、異常な組織は理解できない」と病理学で嫌と言うほど学ぶと思いますが、それです。

とは言え、この“正常・異常”は、同一のご遺体における話ではないため、「どこまでがその人の異常か?」という判断がとても難しいのです。

一般的な”異常”がその人にとっては”正常”かも知れませんからね。

この点は、法医学者が日々頭を悩ませているところでしょう。。

話が逸れましたが、私は結局法医学者も臨床医も、思考の過程としてはそんなに違わないと思うんですよね。

こんな話をするのも、以前「(臨床から)法医学に進むと、医師として何か大きく変わってしまいそう」という学生さんがいて、すごくモヤモヤしちゃったんですよね。

何かこう…法医学を全く別世界に感じたのか、何か心の壁があったのか、私の対応が悪かったのか。。

いろいろと法医学に対して興味は持ってくれていたのですが、案の定、最終的に法医学には来てくれませんでした!笑

でも私自身、法医学に進んで、臨床の頃と思考回路が大きく変わってしまったとは思いませんよーッ!!

先入観を持たず、いろんな医学生さんに法医学に対して興味を持ってもらいたいですね。

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